福岡県の和紙の里
筑後和紙(ちくごわし)・八女和紙(やめわし)
福岡県筑後市溝口地区・八女市に受け継がれてきた和紙。文禄年間(1592~1596)に、越前国(福井県)生まれの日蓮宗の僧、日源上人が、当時廃寺となっていた福王寺を紙づくりで復興させました。やがて、その技は周りの村々に広まっていきました。
明治の末から昭和の初めにかけては1,800軒もの紙漉き家があったそうですが、現在は6軒ほどだということです。
筑後の楮は繊維が長いので、紙にコシがあり強く丈夫なことで有名です。
八女伝統工芸館併設の八女手すき和紙資料館にて手すき和紙体験ができます。
八女伝統工芸館 併設:手漉き和紙資料館
- 福岡県八女市本町2-123-2
- 0943-22-3131
佐賀県の和紙の里
名尾和紙(なおわし)
佐賀県佐賀市大和町大字名尾で受け継がれている和紙。山に囲まれ田畑の少ない名尾の暮らしは決して豊かなものではありませんでした。――元禄3年(1690年)、庄屋の納富由助さんが名尾の地を富ませようと、筑後国の福王寺、日源上人に紙漉きの技を習い村に広めたということです。
昭和の初めには100軒ほどが紙を漉いていたそうですが、現在では名尾手すき和紙、一軒だけが残っているということです。
楮ではなく梶を原料にしていることが特徴。佐賀県重要無形文化財に指定されています。
名尾手すき和紙
- 佐賀県佐賀市大和町大字名尾4756
- 0952-63-0334
鍋野和紙(なべのわし)
佐賀県嬉野市塩田町鍋野地区に伝わる和紙。江戸時代に和紙作りが始まり、提灯紙や障子紙、傘紙などにされていました。大正の初めの頃は、鍋野の八割ほどの家が紙を漉き、一年に3万余貫(112トン余)を塩田津港から長崎方面に出荷していたそうです。
昭和38年に一度、途絶えましたが、平成12年、地元有志を中心に復活しました。
鍋野手漉き和紙工房で紙漉き体験ができます。
鍋野手漉き和紙工房
- 嬉野市塩田町大字馬場下乙2176−1
- 0954-66-2555(塩田町商工会)
重橋和紙(じゅうばしわし)
佐賀県伊万里市南波多町重橋に受け継がれる和紙。江戸時代は藩に保護されて発展しました。伊万里市の無形文化財に指定されています。
長崎県の和紙の里
湯江和紙(ゆえわし)
長崎県諫早市高来町の湯江地区に伝わる和紙。江戸時代の末から始まった紙づくりは、やがて明治30年頃に130軒ほどとなり、海外に輸出もされていたということです。
昭和46年に一度、途絶えてしまいますが、地元有志の方々が湯江紙を復活させる会を結成、とどろき紙工房を立ち上げました。手漉き和紙体験【要予約】ができます。
とどろき紙工房
- 〒長崎県諫早市高来町善住寺1080
※所在地や連絡先が変わっていることがあります、必ず事前にご確認ください。
熊本県の和紙の里
宮地和紙(みやじわし)
熊本県八代市宮地地区に伝わる和紙。約400年前の慶長5(1600)年、柳川藩の御用紙漉き矢賀部(矢壁)新左衛門という方が、八代の宮地地区で紙漉きを始めました。
明治初期には100軒程の紙漉きの家があったそうですが、現在は矢壁新左衛門、御子孫の矢壁政幸さんと市民グループ矢代宮地和紙研究会の方々が伝統を受け継いでいます。
水俣和紙(みなまたわし)
熊本県水俣市に伝わる和紙。水俣では八代市の宮地和紙の下請けで紙や原料をつくっていたようです。
現在、水俣で紙を漉いているのははぐれ雲工房さんだけということです。
大分県
竹田和紙
大分県竹田市に伝わる和紙。江戸時代、豊後国(現 大分県の一部)にあった岡藩の御用紙だったそうです。
弥生和紙
大分県佐伯市弥生地区に伝わる和紙。
宮崎県の和紙の里
美々津和紙(みみつわし)
宮崎県日向市美々津町に受け継がれる和紙。江戸時代、高鍋藩が和紙づくりを奨励し、美々津の紙は公用紙とされていました。
明治時代に約60軒あった紙漉きの家は、いまでは美々津手漉和紙製造所、一軒だけとなりました。予約をすれば見学ができるそうです。
美々津手漉和紙製造所
- 宮崎県日向市美々津町2703
- 0982-58-0674
※所在地や連絡先が変わっていることがあります、必ず事前にご確認ください。
穂北和紙
宮崎県西都市穂北地区で漉かれていた和紙。
鹿児島県の和紙の里
蒲生和紙
姶良市蒲生地区に伝わる和紙。この地では薩摩藩の奨励により和紙づくりが盛んに行われていました。原料に楮は使わず梶を使うのが特徴です。
全盛期には500軒を超える紙漉き場があったそうですが、現在は蒲生和紙工房だけとなっています。
見学・紙すき体験もできるそうです【要予約】
蒲生和紙工房
- 鹿児島県姶良市蒲生町上久徳1487
- 0995-52-1104
伊作和紙(いざくわし)
鹿児島県伊作地方(日置市吹上町)に伝わる和紙。薩摩藩の島津忠良公(1492-1568)が下級武士の生活のため、越前の技術を学び紙漉きをはじました。
明治40年頃には335軒もの紙漉き場がありましたが、敗戦後、急速に少なくなり、やがて途絶えてしまいます。
現在は薩摩伊作和紙美術創形の方々が伝統を受け継ぎ、様々な活動をされています。工房でおためし和紙体験ができます【要予約】
薩摩伊作和紙美術創形 工房
- 鹿児島市西陵7-18-13
- 099-281-4919
鶴田和紙
鹿児島県薩摩郡さつま町に受け継がれる和紙。紙漉きは薩摩藩に保護、奨励され盛んになりましたが、現在の鹿児島県では鶴田、蒲生の和紙だけが絶えずにいます。
ちなみに、かつての鶴田町は2005年3月22日に宮之城町、薩摩町と合併し、さつま町となっています。
鶴田和紙は手揉み茶を作る時の茶取り紙として使われきたそうです。お茶の葉は和紙の上でゆっくりと温められながら揉まれて、針のような形をした美しく香しい手揉み茶になります。
鶴田手漉和紙の野元さんが伝統を受けつぎ製作をされています。鹿児島県伝統工芸品に指定されています。
鶴田手漉和紙
- 鹿児島県薩摩郡鶴田町神子4587
- 0996-59-3878
お茶の葉を手で揉む時に和紙を使います。
手揉みをする台は焙炉というもので下から炭火やガスであたためます。茶葉を揉むために和紙を張った面は助炭と言われるものです。
農家が機械化される前の記録にはこのようなものもあります。
畳半畳くらいの大きさの木の枠にトタンを貼って、そのトタンには和紙が貼ってあり、それを囲炉裏に被せるように置き、その上に茶葉を広げて乾かした。茶の粉が落ちて、燃えて、煙の臭いがつかないように、助炭には和紙を貼って使っていた。
熊本県農業研究センター球磨農業研究所の資料より引用
いまでは製茶もオートメーション化されていますが、
焙炉使って手揉みをすると6時間もかかるそうです。
たいへんな作業ですね。
いまでは普段の生活の中では珍しくなった
手漉きの和紙と手揉みの茶葉……
どちらも次の世代に残したいですね。
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